
世界に影響を与えているサルサをはじめ、魅力的なサウンドを持つラテンミュージックですが、歌手も素晴らしい方ばかりです。
伝統的な側面を保ちつつ、ほかのジャンルとミックスすることで生まれる新しさも興味深いところでしょう。
この記事では、コロンビアとドミニカ共和国、キューバとプエルトリコ出身の歌手やバンドにフォーカスを当てていきます。
コロンビア
María Cristina Plata(マリア・クリスティーナ・プラタ)
- ボゴタより400km北のブカラマンガ市生まれ
- 歌手、プロデューサー、ギタリスト
- 2006年から活動開始
- アンデス、ラテンミュージックをメインとしている
María Cristina Plataはコロンビア出身で、ギタリストとしても活躍している歌手です。
幼いころから伝統音楽に触れて育った彼女は、ティプルやクアトロなどのラテンアメリカにルーツがある楽器の演奏にこだわりを持っています。
Mercedes Sosa や Julio Jaramillo といったトラディショナルな歌手に影響を受けたことが、彼女の楽曲にも反映されています。
さまざまな民族音楽フェスティバルに参加し、2022年には米誌フォーブスにて注目のアーティストとして紹介されました。
19回の受賞歴に加え、中南米とヨーロッパを含むツアーを成功させたことから、今後も活躍が期待されるアーティストと言えるでしょう。
中南米の伝統音楽に触れたい方におすすめの歌手です
Shakira(シャキーラ)
- 本名は Shakira Isabel Mebarak Ripoll
- 1977年2月生まれ、バランキージャ出身
- 1990年からキャリアスタート
- ラテンポップがメイン
Shakira は、アトランティコ県の県都であるバランキージャ出身の歌手です。
レバノンとカタルーニャの血を持ち、7人兄弟の1人が彼女のマネージャーを務めています。
8歳で作詞と作曲をはじめ、10歳で合唱団に入団しましたが、彼女の声質によって辞めざるをえませんでした。
その後、コンテスト番組やイベントに出場を続け、15歳でソニー・コロンビアからデビューを果たします。
シャキーラは中南米、ヨーロッパ、北米の市場で成功を収め、2000年の8月にはMTV主催である「Favorite International Artist」を受賞しました。
2002年から世界ツアーを敢行、2006年に自身のチャリティ活動が国際連合から表彰され、2010年にはFIFAワールドカップの公式ソングを担当します。
シャキーラと日本との関りは、2002年に赤坂で行われたコンサートと地上波メディア出演、また2011年に発生した東日本大震災のチャリティアルバムに参加しています。
シャキーラは思春期だった僕に突き刺さった歌手の1人です
ドミニカ共和国
Vicente García(ヴィセンテ・ガルシア)
- 本名は Vicente García Guillén
- 1983年3月生まれ
- サントドミンゴ出身
- バチャータやボレロの楽曲がメイン
Vicente García はドミニカ共和国の首都であるサントドミンゴ出身の歌手です。
元々、「Calor Urbano」というオルタナティブバンドで活躍しており、2010年にバンドを抜けてソロとしてのキャリアを歩みはじめました。
彼の音楽は、メレンゲやバチャータといった伝統音楽をファンクやレゲエにミックスした楽曲が多く、ラテンミュージックを存分に感じることができます。
なお、2017年には3つのラテングラミー賞を受賞している実力派です。
自然と体が揺れる音楽ですね
Milly Quesada(ミリー・ケサダ)
- 本名は Milagros Quezada Borbom
- 1952年5月生まれ、サントドミンゴ出身
- 1975年からキャリアスタート
- 女性メレンゲ歌手の先駆者
Milly Quesada は、サントドミンゴ出身の女性歌手です。
彼女はメレンゲの女王として知られており、ラテングラミー賞やビルボーズ賞など、数々の受賞歴があります。
1975年に「ミリー・ジョセリン&ロスベシノス」を結成し、女性初のメレンゲボーカリストとして脚光を浴びました。
ラテンアメリカでの活動に注力、2006年にドミニカ共和国出身の女性ではじめてメレンゲ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞、2009年には1週間で5万枚の売り上げを達成するなど、メレンゲの女王にふさわしい活躍をいまも継続しています。
彼女の存在がメレンゲのイメージをガラッと変えたんですね
キューバ
Buena Vista Social Club(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)
- 1940年代にブエナビスタの郊外で生まれたコミュニティがはじまり
- 活動期間は1996年~2016年
- ソンやボレロ、サルサなどのキューバ音楽
Buena Vista Social Club は、キューバ音楽の全盛期と言われる40年~50年代に活躍したミュージシャンたちによるグループです。
グループ名の由来は、ハバナにあった社交クラブで、伝統的なミュージシャンが集うことで知られていました。
しかし、程なくしてクラブは閉鎖してしまいます。
閉鎖から50年後、アメリカのギタリストであるライ・クーダーによって即興で作られたのが、Buena Vista Social Club です。
1997年にリリースしたアルバムは、世界中で大きな反響を呼び、翌年にグラミー賞を獲得しています。
また、1999年には、ニューヨーク公演に至るドキュメンタリー映画の公開によって、キューバ音楽の地位を高めました。
彼らによってキューバ音楽を知った方も多いでしょう
Celia Cruz(セリア・クルス)
- 本名は Úrsula Hilaria Celia de la Caridad Cruz Alfonso de la Santísima Trinidad(ウルスラ・イラリア・セリア・デ・ラ・カリダッド・クルス・アルフォンソ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード)
- 1925年生まれ、ハバナのバリオ・サントス・スアレス出身
- 60年以上のキャリアを持ち「サルサの女王」と呼ばれている
Celia Cruz は、ハバナ出身の女性歌手です。
4人兄弟の家庭で育ち、幼少期から音楽に触れていました。
叔母といとこに連れていってもらったキャバレーからシンガーとしてキャリアスタートし、1940年代後半にラジオ番組のコンテストに出場します。
1950年には人気オーケストラのリード歌手として活躍し、キューバ革命が激化した1960年以降、アメリカに亡命しました。
この時期から、キューバンアフロとラテンの混合音楽が「サルサ」と呼ばれるようになり、彼女は「サルサの女王」として世界中で愛されるようになります。
ニューヨークのセントラルパークで公演した翌年の2003年、77歳で亡くなりました。
ちなみに、名誉あるゴールドディスクを23度も獲得しています
プエルトリコ
Ismael Rivera(イスマエル・リベラ)
- 本名は同じ、別名 El Sonero Mayor とも呼ばれている
- 1931年生まれ、サンフアン地区のサントゥルセ出身
- サルサシンガー、作曲家
Ismael Rivera は、プエルトリコ出身のサルサ歌手です。
5人兄弟の長男として生を授かり、大工仕事を生業としていた経歴があります。
音楽が好きだった彼は、仕事の休憩時間になると、親友と一緒に道端で歌ったりしていました。
その後、エル・コンフント・モンテレーにコンガ奏者として加入、オルケスタ・パナメリカーナでリードシンガーを担います。
1954年、親友のコルティホのバンドに参加してニューヨークで大ヒット、17枚のアルバムと数々のヒット曲を世にリリースしました。
1982年に入ると、親友のコルティホが亡くなってしまい、リベラは精神的にダメージを負ってしまいます。
その後の生活は黒人プエルトリコ人の地位向上に努め、1987年に心臓発作により亡くなりました。
最後の公演は、ボブ・マーリーの前座での演奏だったそうです
Cultura Profética(クルトゥラ・プロフェティカ)
- サンフアン出身のレゲエバンド
- 1996年から活動開始
- メンバー
・Willy Rodríguez(ボーカル、ベース)
・Omar Silva(ギター、ベース)
・Juanqui Sulsona(キーボード)
・Eliut González(ギター)
Cultura Profética は、サンフアン出身のバンドです。
メンバーは入れ替えがあり、現在は4人で構成されています。
彼らのベースにある音楽はレゲエ、とくにボブ・マーリーの影響が強く、サウンドにもその特徴が表れています。
また、母国であるプエルトリコを良くしようという活動も行っており、自国だけでなく、ラテンアメリカ全体に対するメッセージは強烈なものです。
スカやジャズファンクなどをミックスしたサウンドが心地よいですね
コロンビア・ドミニカ共和国・キューバ・プエルトリコ出身の歌手のまとめ
今回は、コロンビアとドミニカ共和国、キューバとプエルトリコ出身のミュージシャンについて紹介しました。
世界的に影響を与えている歌手やバンドが多く、影響をメッセージ性が強い楽曲がたくさんあると感じます。
スペイン語もシンプルな表現で聞き取りやすいため、心地よいリズムとともにリスニングの練習ができますね。
以上です。